〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
HOME 乾杯のスピーチ集 日本酒からの手紙 概要 活動 コラム
コラム
日本酒で乾杯!
第7回 節供の酒 正月は日本酒で乾杯!
 
画像
イラスト:さとう有作

  節供にも酒がつきものである。だが、節供の酒は御神酒(おみき)とは違う。
  人日(1月7日)・上巳(3月3日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)の五節供を制度化したのは江戸幕府であった。中国暦でいうと人日は1月1日だが、正月行事と重なるから、幕府はそこだけ7日にずらした。この五節供と元旦と八朔(8月1日)が、江戸幕府における公休日だったのである。
  節供の酒は、幕府の定めたものではない。古くから中国の故事にちなんで、宮中でも伝えられていた。正月の屠蘇(とそ)、上巳の桃酒、端午の菖蒲酒、重陽の菊酒。この場合の酒は、もちろん日本酒である。
  3月の節供は白酒ではないか、と反論される方もあろうか。が、桃酒が正式なのだ。白酒は、江戸の豊島屋が、海が荒れて灘からの「下り酒」が途切れがちな2月末(旧暦)に売り出した。それが、時期も重なることで雛壇に供えられることになり、節供酒に代替されるようになったのである。
  もともと節供とは、その節季を無事乗りこえんがためのイエ(家)の行事である。ひとつには身についた穢(けが)れを祓う。もうひとつには、邪気悪霊の侵入を防ぐさまざまなまじないをする。そして、旬の生命力を体内にとりいれて自力を養う。饗宴は、江戸期からの休日祝いの習慣にすぎない。右に示した「薬酒」に本意があるのだ。モモもショウブもキクも、邪気悪霊を祓う植物とされ、その霊力を宿した酒を飲むことで体力・気力が充実する、とされたのである。
  ただし、七夕にだけは酒が見当たらない。それは、日本の夏季が非常に高温多湿であり、醸造酒である日本酒の製造や保存に不適当だったから。ゆえに、夏だけ酒なし節供となったのである。ところで、近年は屠蘇祝いが後退しているとか。今度の正月は、あらためて家族の健康を期して屠蘇で祝いましょうよ。

 

『旅行読売1月1日号』 より掲載
文:神崎宣武氏 民俗学者
プロフィールはこちら >>

 
<< 第6回へ < コラム 目次 > 第8回へ >>
 
Copyright(c)2006 日本酒で乾杯推進会議