〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
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小泉武夫氏小泉武夫(こいずみ たけお)氏
1943年福島県の酒造家に生まれる。現在、東京農業大学名誉教授、鹿児島大学客員教授、広島大学客員教授、農水省政策研究所客員研究員等勤める。 農学博士。著書は『食と日本人の知恵』、『酒の話』、『発酵』、『日本酒ルネッサンス』、『食の世界遺産』など単著で106冊を数える。現在、日本経済新聞にエッセイ『食あれば楽あり』を16年にわたり連載中。江戸の酒と人間模様を描いた小説も書く作家でもある。趣味は江戸料理。

居酒屋誕生
 

 日本酒を飲ませる商売が、いつ、どこで成立したかについての確かなところは不明である。奈良時代、すでに人通りに市が立って、そこで酒が取引されていたのであるから、あるいは簡単な酒飲み所があったのかもしれない。しかし、奈良や平安時代は、祭りとか儀式とかいった例外を除けば、外で酒や肴を楽しむことはまずなかったと考えたほうがよい。その上、酒や肴はかなり高価なものであったから、簡単に手に入るものではなく、酒肴の宴は特権階級のものとしての色彩が濃いものであった。
 鎌倉時代に入り、技術の発達もあって酒が安定して造られはじめると、嗜好物としての酒が一般にも普及しだした。建長四年(一二五二年)の沽酒 禁制令では、鎌倉一帯の民家の油壺に入っていた三万七二七四個の酒を破棄した記録があり、いかに酒が飲まれていたかをうかがい知ることができる。
 室町時代、酒はさらに一般化してくる。酒宴専用の酒器が定着し、樽に酒が詰められて運ばれ、親類縁者や傍輩による寄合酒も通常のこととなり、酒に「柳酒」とか「梅の酒」といった銘柄までつく。
 江戸時代に入るといよいよ街に居酒屋が出てくる。造り酒屋で直接飲ませたり、その酒屋からまとめて酒を買った問丸が、小分けして仲買(すあい)に酒を卸す。仲買はこれを一般民衆や居酒屋に売り、居酒屋はこの酒を客に供した。
 居酒屋の最初は天正年間(一五七三〜九二年)、造り酒屋の店先に「居酒致し候」という看板をかかげて、隅のほうで立飲みさせるところがあって、そのような酒屋のことを「居酒屋」と呼んでいたのに始まる。その後、江戸や大坂では壕の造改築や水路の整備、たび重なる大火などで土建業者が集中し、多くの職人や人夫が地方から続々と集まってからは、必然的に酒を専門に飲ませる屋台や店ができた。これらの店に立ち寄るのは、酒宴の席に座るあてのない者、たとえば若い奉公人、人足、浪人などがほとんどで、その辺りの様子は当時の『職人尽絵詞』(鍬形薫斉筆)などに残されている。
 この種の居酒屋はその後も数を増し、寛永七年(一六三〇年)に江戸市中に十数軒あった居酒屋が、二〇〇年後の天保元年(一八三〇年)には二〇〇軒を超す数となった。その後、天保の改革(一八四一年)の取締で、一度はその大半が菓子屋などに看板替えしたこともあったが、幕末にかけては江戸、大坂のほか全国の主要地で再び激増していった。このころから、酒に各種の肴を添える店が多くなる。そのような店にはたいてい「酒めし」とか「酒飯屋」(さかめしや)という看板が下がっていて、今にいう縄暖簾や赤提灯も、この当時から軒先に掛けるのが習慣となっていた。幕末に近いころの居酒屋では、枡酒一杯が上等酒で一二文、中等酒一〇文、並等酒六文であった。最低六文あれば枡酒一杯は飲めたということから、今でもところどころに「六文銭」などという名前の居酒屋を目にすることがある。
居酒屋と同じころ、「遊郭」も発生している。遊郭は豊臣秀吉によってすでに天正一三年(一五八五年)に始められ、徳川幕府がこの制度を継承整備していったので、江戸時代には全盛を迎えた。
 遊郭では粋な遊女を相手に、男たちは昼からさえも豪華な料理を食べ、酒を飲んで興じていた。元禄期に入ると遊郭の周辺には「茶屋」や「飯盛旅籠」(めしもりはたご)なども出てきて、ここでも酒と肴を介して男女の関わり合いが行われていた。また、酒と料理を主体とした「料亭」もこのころから大盛況であり、さらに酒と料理を前にしながら芝居見物や歌舞伎観賞、相撲観戦といった優雅な酒も流行した。こうして江戸三〇〇年の酒商売は、いずれの業界とも大体が栄えた状態だった。
 明治時代に入ると、新しい政府は酒造規則五ヶ条や酒の流通、料飲に関する令を定めて法の下に統制し、酒に関する業種は近代化されながら引き継がれていった。
 日本の男性には昔から、家族(家庭)中心主義的行動はあまり見られず、むしろそう見られることを恥としたり、それがないことを美徳とする考えすらあった。仕事第一とか、仲間や上司との付き合いを大切にする風潮が続き、封建的で男尊の時代が長かったから、当然のこととして男は家庭外での飲酒の機会が多くなった。男女同権となり、民主国家となった今日でもなお男が外で酒を飲む習慣が続いているのは、そういう時代の名残であり、江戸が開府されて居酒屋ができてから、実に四三〇年もの間続いている日本的飲酒形態といえるのである

 
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結婚式の盃事
2009.02.03
 
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